うまのて雑記帳・うまのて的こころ

淡水小物釣りとB級グルメをメインにグダグダ書いたブログ


※更新停止に伴いコメント欄を停止したら過去のコメントまで読めなくなってしまいました。
たくさんのご意見ご感想ありがとうございました。

★朽ちゆくもの。

 
ま、これが今回の東北旅行の第一目的だったりするんですが・・・。
 
岩手にかつて硫黄の産出で名を馳せた「松尾鉱山」なる鉱山がありました。ピーク時の1960年ごろには標高1000Mの高地に一万人の従業員が暮らしていたそうです。そんな鉱山も原油から「回収硫黄」が精製されるようになると硫黄鉱の需要は激減、昭和44年には全従業員の解雇、そして昭和47年には完全閉山の憂き目にあってしまいます。
その後、一万人を超える従業員が暮らしていた社宅・高層アパート群はそのまま放置されました。木造の社宅群は消防の延焼実験に供されて無くなってしまいましたが、11棟の高層アパート群は現在に至るまで八幡平の高地で荒れるに任され放置されています。
 
この松尾鉱山の廃墟アパート群の姿はネット上では見てましたがやはりナマでその姿を拝んでみたい、と思い今回見に行ってみました。
 
八幡平アスピーデラインを駆け上がり、松尾鉱山の方へ車を曲がらせるといきなりこんな看板が道端に。
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私は良い子なので道路を外れて見に行くつもりはありませんよ・・・と独り言を言いつつ車を進めると、
 
 
見えてきました・・・・・
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今日はこの存在を知っててここへ来たからいいですが、予備知識無しだったら相当驚きますよ。
 
↓クリックしてパノラマ画像でどうぞ、別ウィンドウで開きます。(ファイルサイズがクソ重い上にバカでかいですがご容赦ください。)
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いやぁ、絶句しますよマジで。撮影してて何となく足元が震える感じがしますね、この規模には圧倒されます。
この高層アパート群に40数年前までは人々が暮らし、この高地が生活感に溢れていたとは全く想像がつきません。
あと、もうひとつ想像がつかなかった事があります・・・・「同業者」が結構来てました。シルバーウィーク中ということもあり、これが見渡せる道路には私のほかにも数台の車が止まり思い思いにシャッターを切っていました。みんな結構廃墟好き?
 
この先には鉱山から流れ出る「鉱毒水」の中和施設があるそうなので、それの全貌も見渡したかったのですが、
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なんか看板も立ってるし、道路にはなんかバリアがあるしでチキンな私はここで退散・・・・ 
鉱毒水の中和施設の維持管理には岩手県が年間5億円近い額を拠出しているとか。岩手県にしたらとんでもない負の遺産を押し付けられた事になりますが、こうしてここ目当てに岩手に来る私のような変わり者もいるわけで・・・・
 
実はもうひとつ東北には有名な鉱山跡地がありまして、その名は「尾去沢鉱山」。ここまで来たからには当然こちらも見に行きます。
尾去沢鉱山は銅を産出していたそうなのですが、銅鉱石の枯渇、採掘事業の不採算化が進み昭和40年代半ばには精錬事業が中止され、その後昭和53年に閉山したそうです。
ちなみに、現在この鉱山跡地にはかつての坑道の一部を活用して「史跡 尾去沢鉱山」なるテーマパークが建設されてます。
 
鹿角の道の駅でちょいと寄り道をした後、テーマパークへの看板を頼りに車を進めると見えてきました、
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廃墟系サイトではよく見かける製錬場跡の煙突。
 
この奥には
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選鉱場の跡地。
なんか写真だとイマイチ凄さが伝わらないのが残念。ここに立たないとなかなかこの迫力は解らないかなぁ・・・
 
一応ここもパノラマ写真があります。
↓クリックしてパノラマ画像でどうぞ、別ウィンドウで開きます。(ファイルサイズがクソ重い上にバカでかいですがご容赦ください。)
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ちなみに廃墟右手の建物は「史跡 尾去沢鉱山」の一部。バリバリの廃墟と現役テーマパークが隣あっているのがなんとなくシュール。
 
この日訪問した両廃墟とも、ここまで来ると単なる廃墟を超越した貴重な「遺跡」のよう。かつての繁栄を偲ぶ産業遺産としてこの先も姿を留めて欲しいとも思いますが、このまま自然に朽ちていくのがふさわしい姿なんでしょうか。
 
(取材日・2009年9月21日)