うまのて雑記帳・うまのて的こころ

淡水小物釣りとB級グルメをメインにグダグダ書いたブログ


※更新停止に伴いコメント欄を停止したら過去のコメントまで読めなくなってしまいました。
たくさんのご意見ご感想ありがとうございました。

★野球場、競馬場の跡地を巡りつつネコ駅長の待つ駅へ

 
先週はせっかくの遠征なので、欲張って競馬以外の予定も組み込んでいました。今回はその様子でもご紹介しようかと。
 
ちょっと前後しますが、日曜に訪問したかつての阪急西宮スタジアムの様子から。
コアな野球ファンには「阪急山森がロッテ弘田の打球をフェンスによじ登ってキャッチした球場」としてお馴染みでしょうし、競輪好きにとっては「組み立てバンク」西宮競輪場としてもお馴染み。私にとってはそのどっちでもありますが・・・・
「組み立てバンク」とは何ぞや、という方はコチラの動画なんて見ていただけると解るかと思います。
 
今は跡形もなくなり、西宮北口駅前に広がるは「阪急西宮ガーデンズ」という商業施設。
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かつての様子は施設内の「阪急西宮ギャラリー」というコーナーに展示されていて、当時のジオラマが。
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阪急西宮駅にまだ平面交差が残されていた頃のジオラマです。
 
このジオラマ以外には阪急ブレーブスのユニフォームや、加藤英司山田久志福本豊らの栄光の歴史の一部も展示されています。
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よく考えたら、私はこの3人の現役時代を生で見てるんだよなぁ(川崎球場の対ロッテ戦でしたけどね。加藤はもう南海にいた頃だったかな。)。今考えたら凄いモノ見てたな。
なお、残念ながらというかやっぱりというか、このギャラリーには「西宮競輪」があったことは案内されていません。野球場、そして関西のアメフトのメイングランドとしての説明はありますが。公営競技は無くなってしまえばそんなものは黒歴史として触れない、という事のようです。
 
続いて土曜日の旅行記
まずは南海のなんば駅の駅前、大阪球場の跡地に。
大阪球場跡地
なんばパークス」なる小奇麗な施設と「ウィンズ難波」に生まれ変わり、球場の面影はありません。
上の写真でもチラリと映ってますが、わずかにホームベースとマウンドの位置に記念プレートが埋め込まれているのみ。
 
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かつて杉浦が投げ、野村が打った球場も記憶の彼方にすっかり消え去ったようです。そういや、現・巨人の大道って元・南海の最後の選手なんでしたっけ、大阪球場の記憶はまだ消え去ってませんでしたね。
 
さて、なんば駅から南海電車に乗って、降りたのは春木駅。
春木駅
ここで目指すは「春木競馬場」跡地。
 
春木競馬は別に累積赤字が積もっていたというわけでもないのに、時の知事が1968年に表明した公営ギャンブル廃止政策によって廃止に追い込まれた競馬場(廃止は1974年)。美濃部のマネして票が欲しかったんでしょうかねぇ。
 
現在、競馬場跡地は岸和田市中央公園となっていて、競馬場の面影はありません。
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公園の案内図、
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右のほうに微妙なカーブがあるのがお解りいただけますかね・・・・ここが唯一残っている競馬場を偲べるモノで、かつてのコース跡。
 
このコース跡は現在、
「春木競馬場」跡地
「春木競馬場」跡地
こんな感じですが、予備知識が無ければ競馬場のコース跡とは思わないでしょうね。なお、春木川の改修工事に伴ってかつてコース上に存在した橋の跡は消えているようです。
 
再び南海電車に乗って目指すは和歌山。春木競馬の”道連れ”になって(?)廃止に追い込まれた紀三井寺競馬の跡地を目指すんですが・・・・
その前にせっかく和歌山まできたので寄り道をして、今や「日本で一番有名な駅長」と言っても過言ではない「たま駅長」に会いに和歌山電鐵に乗ることにしました。
和歌山市までは南海の古豪7000系がエスコート。今時片開き扉の鋼製車が特急運用で頑張ってます。
南海7000系
なんとなく、京急の旧1000形を彷彿とさせる古豪の頑張り。
 
和歌山市駅から和歌山駅までの紀勢本線では、こちらも負けず劣らずの古豪、105系。国鉄末期、常磐線で使われていた103系を改造し導入された車両。
105系
千代田線〜常磐線で走っていたのに、魔改造を施されて平成のこの時代まで走り続けるとは当の車両自身も思わなかったでしょう。
 
和歌山市駅を発車、和歌山競輪場を横目にあっという間に和歌山駅に到着。
和歌山駅
同じ市内に「和歌山市駅」と「和歌山駅」、2つのターミナル駅があるのはヨソモノにはややこしいでしょうな。実際、和歌山市駅で南海の車掌に「ネコの駅長の電車はどこから乗ればいいの?」と尋ねているババァ連中御婦人方もいましたし。
地元の方は「和歌山市駅」の方を「市駅」と呼んでいるようです。名古屋で名古屋駅を「メイエキ」と言うようなもんでしょうかね、ちょっと違うか?
 
和歌山電鐵ホームで待つは「たま電車」。この和歌山電鐵、かつては南海の貴志川線として運行されていましたが、赤字ゆえに南海が廃止を表明、廃止されては困るとの住民の声が上がり、その後でなんだかんだあった末に岡山電気軌道の子会社として再出発することになりました。
たま電車
写真を撮る人がたくさんいましたねぇ。ホームにはグッズを売るコーナーもあって人だかりが出来てました。
座席が全部埋まって、立ち客も何人かいる状態で列車は発車。
 
30分ほどで終点の貴志駅に到着。途中で降りた地元の人と思われる乗客は10人そこそこだったかな・・・。ネコ1匹で支えられてる鉄道と言っても言い過ぎでは無いかも・・・・。
貴志駅はどこにでもありそうなローカル線の小駅といった風情。
貴志駅
駅の左手の緑の屋根の所が、元々たま駅長が飼われていた小山商店。
 
たま駅長、立派な駅長室で勤務中。
たま駅長駅長室 
下段にいる茶色のネコは助役のちび。
 
たま駅長、多数のギャラリーにも動じることは無く、マイペースの様子でした。
たま駅長
たま駅長
フラッシュ焚くな、と書いてあるのにフラッシュ焚くババァ連中御婦人方がいますねぇ。フラッシュの止め方知らないのでしょう、自分のカメラの使い方くらい覚えておけ、という話ですよ。
 
たま電車の他にも「いちご電車」や「おもちゃ電車」など新しい企画を次々生んでいる和歌山電鐵岡山電気軌道の子会社という位置づけの民間会社だから出来ることで、もし第3セクター式で再出発していたら貴志川線がここまで生まれ変われたかどうかは怪しいと思います。
 
再び和歌山駅に戻り紀勢線ホームに。右側に写っている阪和色の113系に乗って紀三井寺競馬場跡地を目指します。
20091212142737
国鉄型天国、和歌山駅。「クハ103−1」の姿を拝みたかったんですが、この日は見れず。
 
紀三井寺駅は現在は立派な橋上駅。
紀三井寺駅
 
紀三井寺駅から旧競馬場跡地へは、現在は道も拡げられ、川に橋も掛かって一本道で行けます。
 
現在競馬場跡地は和歌山県医大病院となっています。
20091212142741
 
↓この地図でみるとコース跡の形状がよく判ります。
http://www.mapion.co.jp/m/34.1855194444444_135.185173611111_9/
 
旧コース跡は現在は一部は道になっていて歩いて往時を偲べます。
これは向こう正面の直線・・・・
紀三井寺競馬場跡地
 
これは3〜4コーナーあたり。
紀三井寺競馬場跡地 
紀三井寺競馬場跡地
往時を偲ぶモノはこの道以外は残されていないようです。春木や西宮同様に公営競技黒歴史として葬りたいのでしょう。
 
そういえば、病院のすぐそばに馬運車が止まっている運送屋さんがありましたが、当時から営業しているのでしょうか。もしそうだとしたら唯一の紀三井寺競馬場の遺産?
 
時間的にこの辺りで日没ゲームセットとなり大阪の宿を目指しました。さすがに空腹の限界で駅弁を調達。
20091212170422 めはり寿司
 
20091212170424 小鯛雀寿司
和歌山駅の駅弁、美味しゅうございました。
 
駆け足の訪問だったんですが、例によって密度の濃い旅になりまして個人的には満足の旅でした。満足じゃなかったのは的場文男の成績くらいか・・・?
今回も長々と読んで頂きありがとうございます。
 
(取材日・2009年12月5日〜6日)
 


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