うまのて雑記帳・うまのて的こころ

淡水小物釣りとB級グルメをメインにグダグダ書いたブログ


※更新停止に伴いコメント欄を停止したら過去のコメントまで読めなくなってしまいました。
たくさんのご意見ご感想ありがとうございました。

★JRAの馬場入場曲が変わったり、河北騎手らが引退したりするらしい

 
http://www.jra.go.jp/news/200912/122101.html
によると、重賞競走とG1競走の際の馬場入場曲が来年から変わるとか。
一般競走と特別競走の入場曲も、かつて足繁く競馬場に通っていた頃から慣れ親しんだものとは変わってしまってなんか馴染めなかったんですが、これで全ての競走で変えられてしまうわけですな。
 
関西G1の「ザ・チャンピオン」なんて特にいい曲だったと思いますけどね、ノリもいいし。なんでわざわざ変えるのかなぁ。別に、アンケートとったら不評だったとかいうワケでも無いでしょうにねぇ。
 
ま、競馬にしろ競輪にしろ、組織が肥大化してるところは何だかんだと余計な自称”改革”をやって無駄金使いたがりますからね。
競輪もヘンテコなルール変更やらナンやら良くやってますね。レインボーカップもつまらなくなっちゃったし。
 
あと、騎手の引退も報じられてました。
http://www.jra.go.jp/news/200912/121804.html
によると、宇田登志夫、小原義之河北通の3名の騎手が引退するとか。今後3人は所属厩舎の調教助手になるそうです。
 
宇田騎手の思い出というと、当時一口持っていたマイネマリエで勝ってくれたことですかね。マイネマリエ東京ダービー勝ったセントリックの全妹(父・ミルコウジ、母・コトブキトミオー)という理由で一口持った馬でした。初勝利の時は増井豊、2勝目は内田浩一、3勝目は宇田登志夫。地味な血統に地味な騎手、ある意味私好みの良い馬でした、十分にモトも取ったしね。
 
小原騎手といえば、ペーパーオーナーゲームで指名馬が小原厩舎に入ったときの悩みのタネの一つだったりもしましたが・・・・。昨年のマーチステークスナナヨーヒマワリの時は馬券的に世話になりましたが、あれが世話になったといえる話の最初で最後だったような気も。
 
河北騎手といえばメルシーステージでしょう、なんつっても。行方不明になっていたステートジャガーを探し出すきっかけになったんでしたっけ。
メルシーステージってメルシーアトラの下とはいえ、父ステートジャガーなのにあそこまでの活躍を見せるとは期待してない人が多かったのでは。しかも、鞍上は河北だし。
 
ま、今から10年以上前に若手だった騎手はそれなりに思い出っぽいものがありますけど、最近の若手はイマイチ乗鞍も少ない(というか乗せてもらえない)し、印象に残る場面が少ないですね。JRAは自前の若手が育つ方法を模索した方がいいんじゃないんですかね。